2017/07/04

「保養について語ろう 実態調査の報告」〜リフレッシュサポート 疋田香澄〜

(「保養」という言葉すら出せないという中で、「自然体験」「リフレッシュ」と地道に資金を調達し、ボランティアを募り、全国の支援団体が奮闘してきました。「リフレッシュサポート」疋田香澄さんに、現在の状況をまとめていただきました。「こどけん3号」より転載しています。 子ども全国ネット)

「保養」の語り方

「保養に行くことを周りにカミングアウトできない。だから福島県外に出られない」と、保護者に相談されたのは2015年夏のことでした。2011年以降「放射能にまつわる不安を口に出せない」という言葉は繰り返し聞いていたのですが、カミングアウトという言葉に重みを感じ一瞬、戸惑いました。

私は、保養に関する情報誌『リフレッシュサポート』を発行する以外に、受け入れ支援者が、保養へのニーズがある現地に訪れる相談会に携わっています。毎回、会場に来た方々から「保養を続けてほしい」と切実な訴えを受けます。一方で、原発由来の被ばくリスクを気にするべきではないという層が「保養は風評被害をもたらす」と批判をすることもあります。

その二つの言葉の間で、どのように保養について語ればよいのか。日々考える中で、まずは現状を把握しようと、リフレッシュサポートと311受入全国協議会で「保養実態調査」を行いました。

1年間で9000人以上が保養へ

2011年3月以降、原発由来の放射能汚染を避け一時的に移動する「保養」の活動が、チェルノブイリ事故後のウクライナやベラルーシを参考に日本で始まりました。保養実態調査では、2014年11月1日~2015年10月31日までに、原発事故の影響があった地域から子ども(保護者も含む)の保養受け入れを行った団体を対象とするアンケート調査を行い、107団体(29都道府県)から回答がありました。

滞在施設型の受け入れ人数とプログラム型の参加人数を合わせると、1年間で9000人強が保養に行ったことがわかりました。回答したのは107団体ですが、全国で234団体以上が保養を行っているため、リピーターを考慮したとしても、それ以上の人数が保養団体を通じて全国各地へ保養に行ったと推測されます。

①期間内・もしくは通年利用できる施設を提供している形態
②決まった日程をある程度準備されたプログラムに則って過ごす形態

資金・スタッフの不足と疲弊

9000人以上もの規模であれば、保養は行政が実施しているのだろうと思う方も多いかもしれません。しかし、保養団体の多くは任意団体やNPOです。そして今回の調査で、団体の収入のうち71%が寄附金、15%が赤い羽根などの助成金、4%が参加者の参加費、行政からの補助金は1%ということがわかりました。

また保養について、「風評被害を煽ってお金を得て、それで生活している人も多い」という根拠のない批判を受けることもあります。しかし、有給スタッフを持たない団体が69%、有給スタッフを持つ団体のうち83%が保養以外の事業を行っており、保養専属の有給スタッフはほとんど存在しないというのが現状です。ボランタリーな活動という制約上、子育てがひと段落した40代~50代の女性を頼りに運営される傾向がありました。 チェルノブイリ原発事故後のウクライナにおける保養は、国家主導で行われており、専門家や「ウジャーテ」と呼ばれる若手の教育大学出身者が仕事として子どもに関わる体制であり、現在の日本とは大きく異なります。

受け入れ団体の支出については、参加者交通費が40%と最も高く、宿泊費が15%、参加者食費が14%でした。食費は農家からの物品提供、宿泊費は公共施設の無料貸し出しなど、受け入れ地域のからの協力で金額を下げる努力が行われていました。協力を得にくい交通費が大きな負担となっています。

保養受け入れ団体が主要な課題として挙げているのが、「活動のための資金が不足している(28団体)」、「スタッフの人数が不足している(17団体)」です。二番目に多かった「原発事故や支援に対する関心が低下している(18団体)」は、資金不足とスタッフ不足の主な原因といえるでしょう。事故後5年が経ち、仕事や介護との両立でスタッフの疲弊が激しいという意見も多く寄せられました。

保養に行けている人は多い?

2016年7月に保養実態調査の報告書を公開したあと、NHK、朝日新聞、東京新聞、『ビッグイシュー』などのマスメディアが取り上げてくださいました。報道後の反応として「いまだに年間9000人以上も保養に行っているんですね」と驚かれることが多く、保養と接点がない方との温度差も感じました。支援者の実感としては、希望者に対して受け皿が足りないと思うことも多いためです。実際に、プログラム型の保養への応募者数は6290人、参加者数は4607人と、保養参加を希望した応募者のうち、7割程度の人しか保養に行けていないことが調査からもわかっています。保護者の仕事や子どもの日程などが合わず、希望はあっても応募に至らなかったケースも多くなっています。

ウクライナでは「保養庁」が存在し、全国の州に対しどんな保養が必要かニーズ調査を行い、調査をもとにプログラム内容や人数を決めて、入札を行います。保養施設ごとに、州・地域別に参加人数が割り当てられるため、その人数に従い「子ども委員会」がマッチングを行います(白石草『ルポ チェルノブイリ28年目の子どもたち』岩波ブックレット、2014年、P61より要約) 。

日本では、マッチングが全体としては行われておらず、主に民間の団体同士の連携に頼っています。選考方法が先着順であると、保養情報に詳しくない保護者にとって参加が難しいという課題があります。抽選であると抽選に落ちることを不安に思い複数同時に応募し、当選してもキャンセルする保護者がでてきます。キャンセルが増えると、保養主催者による再募集が間に合わないケースも多く、保養を希望していた人が保養に行けないということも起きます。こういったマッチングの問題は個人の責任ではなく、構造的な問題です。





保養の意義

ボランティアが、「善意」で原発事故の被災者を支えている保養の実態が見えてきたでしょうか。疲弊しつつも保養を続ける思いとは何でしょうか。次に、被ばくのリスクに関する議論ではなく、保養の社会的な意義について考えてみたいと思います。

福島にて、ある保護者が、「地元の子育て支援のお話会で『被ばくが怖い』と言ったら、別室に通され、健康リスクはゼロだと説明を受けた」と話してくれたことがありました。それからその女性は本音を語らなくなり、隠れて保養に行くようになりました。国の「健康不安対策」に従うと、「過剰な健康不安に陥っている」とみなした人にこのように対応するのが正解とされているのかもしれません。しかし、そもそもの起点としての原発事故の「経験」が、そこでは無視されているのではないでしょうか。

「沈黙はトラウマがもたらす救いようのない孤立を強める」(ベッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記録する』紀伊國屋書店、2016年P380)

これは、トラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークの言葉です。問題の構造は異なりますが、津波や地震災害に関するケアでは、グリーフケアなども含めて、当事者の「悲しみや怒り」に焦点を当てる施策が多いのに対して、原発事故に関しては「不安」に強い焦点を当て、「どれほど不安が減ったか」を指針とし、その不安を抑えようとする施策がほとんどです。

確かに、できるだけ不安なく生活することは大切なことです。しかし、その当事者は突然の妄想として不安を持ったのではなく、原発事故という「経験」を経て不安を持ったのです。「これくらいのリスクは受け入れろ」と不利益を耐え忍ぶ義務を押しつけることではなく、まずは「原発事故が起きてとても嫌だった」「今もつらい」などの気持ちを率直に口に出せる環境を整えることが、自己の統合感覚を回復させるためにも必要ではないでしょうか。沈黙を強いるだけでは、悲しみや怒りは癒されず、孤立を深めることにしかなりません。

保養に参加する中で仲間を見つけ、お互いの選択を尊重しながらコミュニケーションする保護者は、極端にならずむしろ安定して子育てをしている傾向があります。また、子どものみが参加する保養でも、支援者との良い出会いがあった場合、子どもが「見捨てられていると思っていた。こんなに大切にされて嬉しい」と自己肯定感を取り戻すこともよく見られます。率直な悲しみや怒りを出すことが可能な安全基地としても、共通の不安を持つ人とコミュニケーションでき理解してくれる支援者に受け止めてもらえる場所としても、保養が果たす社会的な意義は高いといえます。

語られないものについて語ろう

個人的な感想になりますが、今回の調査後、保養滞在施設を運営する団体に連絡を取った際に「資金とスタッフの不足のため来年から保養受け入れはできない」という話があったのは大きなショックでした。私自身も以前は、ボランティアで保養の運営も行っていたのですが、仕事との両立が難しく現在は相談・情報支援や調査に縮小しています。今回、私自身があらためて気づいたのは、少なからぬボランティアを消耗させながらも、 保養活動は継続していくという自分自身の勝手な思い込みでした。新しく保養を始める団体も多いため、受け入れ総数自体は変わらないかもしれませんが、福島県から距離的に近く、当事者からの需要も高かった団体でも続けていけない状況にあるのだとあらためて実感しました。

他方で、保養実態調査によると、主要な課題に「スタッフの活動への充実感が欠如している」を挙げた団体はありませんでした。だからこそ、当事者の需要と支援者の情熱は続く間は、保養の受け入れを維持できないかと考えてしまいます。






私たちにはいま何ができるでしょうか。
「沈黙の螺旋(らせん)」という言葉があります。少数派と自覚している人は、メディアなどから流れてくる多数派の意見を怖れて語りにくくなる。そして語られないものはより語られなくなり、すぼんでいく螺旋のように少数派の存在自体がさらに隠されてしまいます。保養活動の難しいところは、当事者が「語りにくい・語れない」ことです。ですから、当事者の支持を得ていることが見えにくく、「安全なのだから保養など必要ない」という国の方針もあって、保養に対する公的な支援はほとんどない状況です。

これを読んでいる当事者の方がいたら、一緒に保養のこれからについて考えませんか。保養受け入れ団体が改善点として何を望むかという問いには、「国や自治体に保養を行ってほしい」という声が3割近くと突出した多さを示しました。当事者が中心となって、「善意」ではなく「権利」としての保養について考えることも必要なのかもしれません。

下記のリンクに保養実態調査の報告書があります。ぜひ、当事者ではない方もこれを読んで、周りの人と「保養」について話してください。それが一つのきっかけとなって、沈黙が破られ、螺旋がすこしずつ広がっていきます。

■保養実態調査報告書 goo.gl/X7VeC8 

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