2016/09/10

5年半 避難指示区域の今 原発事故、後遺症重く

2016年9月10日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160910/ddm/010/040/073000c

東京電力福島第1原発事故を受け、政府が原発周辺の11市町村に出した避難指示が2014年4月以降、相次いで解除されている。田村、楢葉、川内の3市町村は避難指示が全域でなくなり、来春も複数の解除が予定されている。だが、強制避難が解かれても放射能の影響などを懸念し住民の帰還が進まない自治体も多く、原発事故の影響は5年半になる今も続く。



「帰還困難」除き順次解除

避難指示はこれまでに第1原発が立地する大熊、双葉両町と周辺9市町村が対象となった。広野町のように独自の判断で全域避難した自治体もある。

政府による最初の避難指示は東日本大震災が起きた2011年3月11日で原発の半径3キロ圏が対象。その後の水素爆発で大量の放射性物質が飛散し、範囲が徐々に拡大した。翌月、政府は避難指示区域などを距離や被ばく線量に応じて三つに再編した。

翌年4月以降は、原発の原子炉が安定する「冷温停止状態」になり、重大な危険にさらされる恐れがなくなったとして、年間被ばく線量に応じ、(1)避難指示解除準備区域=20ミリシーベルト以下(2)居住制限区域=20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下(3)帰還困難区域=50ミリシーベルト超−−への再々編を始めた。(1)と(2)は日中の立ち入りしか許されず、(3)は原則立ち入り禁止。「20ミリシーベルト」は、国際放射線防護委員会が原発事故など緊急時に一般の人が被ばくしてもやむを得ない線量を「20〜100ミリシーベルト」としており、その下限にあたる。

政府は避難指示解除について、除染が済み線量が20ミリシーベルト以下になることなど3要件を設定。昨年6月には17年3月末までに帰還困難区域を除き避難指示を解く方針を決めた。15年9月には全域避難した自治体では初めて楢葉町が解除。今年も解除が相次ぐ。

だが、生活基盤が古里の外に移り帰還できない住民も多い。一方、政府は高濃度の汚染で手つかずだった帰還困難区域についても「復興拠点」を設けて除染し、5年後をめどに避難指示を解除する方針だ。

「元に戻すのは大変」

昨年9月5日、全町避難自治体として初めて避難指示が解除された福島県楢葉町。後続自治体のモデルとなる復興が期待され、町は生活環境の整備を急ぐが、今月2日時点で町に拠点を戻した町民は9・2%の681人にとどまり、4年半の避難の後遺症克服にはさらに時間がかかる。

帰還後の楢葉町を歩く

車が行き交う国道6号の脇には雑草に覆われたガードレールが続き、人の手が入っていないことをうかがわせる。シートに覆われた除染廃棄物が農地に整然と張りつく。

楢葉町下小塙の農地にはシートをかぶせられた除染廃棄物が残る。
奥を走るのが国道6号=乾達撮影

国道沿いの丘に建つ牛舎では、渡辺秀幸さん(55)が7月に繁殖用の黒毛和牛5頭を入れた。避難前は町内40戸が400頭を飼育。渡辺さんも親牛を11頭まで増やしたが、全町避難で殺処分された。森林は除染対象外のため、収入の半分を占めた林業をあきらめ、繁殖の規模拡大を図る。

渡辺さんは「牧草を育てて田を守り、親牛も増やして楽な生活ができるところを見せたい」と話す。ただ、繁殖の再開を目指すのは50代以下の数人だ。町内では6年ぶりに稲作も再開し、全体の5%、20ヘクタールの水田で穂が伸びる。だが、風評被害は根深く、多くは飼料用。マイナスからの再出発を強いられる農業に、どれだけの担い手が戻るかは見通せない。

町内で原発事故後初めて和牛繁殖を再開した楢葉町山田岡の渡辺秀幸さん=乾達撮影

国道からは改修中の家や真新しい廃炉作業員向けアパートも見える。役場近くでは町が住民の帰還を促そうと、宅地や商店などが集まる復興拠点・コンパクトタウンの造成を進める。隣地では医療機関が診療を始めた。

利便性向上へ楢葉町が造成を進める同町北田の復興拠点「コンパクトタウン」=乾達撮影

インフラ整備が進んでも、帰還者の3分の2は60歳以上。8月時点で町商工会会員251社の4割が町内で事業を再開したが、町民相手の小売り、サービス、飲食業は3分の1と苦戦する。町でほぼ唯一、人が集まる役場前の仮設商店街で食堂を営む横田峰男さん(51)は「状況は一気に変わらない。お客も作業員中心のまま」。コンパクトタウンができたら昼は年配の町民が食事し、夜は作業員が息抜きできる店を出すつもりだ。
娘2人を抱え、放射性廃棄物の残る町では暮らせないと、同県いわき市から店に通う。ただ、中1の長女が通う町立校が来春、いわきの仮設校舎から町内に戻る。避難で転校を3回経験した長女は友達と通うことを望む。横田さんは「復興のスピードは十人十様。スクールバスを出すなど配慮してほしい」と話す。

解除後、横田さんのように町と避難先を行き来する「2地域居住」が進む。6年ぶりの盆踊りは町外の若手らが企画し、普段は姿を見せない子どもも参加した。まちづくり会社勤務で盆踊りの企画にも携わった新田勇太さん(35)は言った。「一度壊れたものを元に戻すのは大変。時間がかかっても一つ一つを積み重ねていくしかない」

    ◇
この特集は曽根田和久、乾達、土江洋範が担当しました。


福島第1原発事故と避難指示を巡る動き


2011年
3月11日 東日本大震災発生
    政府が原子力緊急事態を宣言
    福島県が福島第1原発の半径2キロ圏にある大熊、双葉両町の一部住民に避難を要請
    政府が半径3キロ圏に避難指示、3〜10キロ圏に屋内退避指示
12日 1号機が水素爆発(3号機は14日、4号機は15日=[1]東電提供)
    政府が半径20キロ圏に避難指示
15日 政府が半径20〜30キロ圏に屋内退避指示

4月22日 政府が周辺の避難指示区域などを(1)警戒区域(2)計画的避難区域(3)緊急時避難準備区域−−の3区分に再編

6月20日 復興基本法成立

8月5日  原発避難者特例法成立

9月30日 緊急時避難準備区域を解除

11月11日 政府が事故による追加被ばく線量が年間1ミリシーベルト以上の地域を除染対象とする方針を閣議決定
12月16日 野田佳彦首相(当時)が1〜3号機の「冷温停止状態」を公表し、原発事故の収束を宣言
2012年
2月10日 復興庁発足
3月30日 福島復興再生特別措置法成立
4月1日 政府が避難指示区域を(1)避難指示解除準備区域(2)居住制限区域(3)帰還困難区域−−に3区分する再編を開始。13年8月まで順次再編が続いた
6月21日 子ども・被災者生活支援法成立
7月13日 福島復興再生基本方針を閣議決定
9月19日 原子力規制委員会が発足
2013年
7月8日 原発の新規制基準が施行される
9月7日 安倍晋三首相が国際オリンピック委員会総会の東京五輪招致演説で「(原発事故の)状況はコントロールされている」と明言=[2]
12月18日 東電が5、6号機の廃炉を決定
   20日 原発事故からの復興で「全員帰還」の原則を転換する新指針を政府が決定
2014年
2月20日 第1原発のタンクからの汚染水漏れ(約100トン)が発覚
4月1日 田村市都路地区が11市町村で初の避難指示解除。以後、16年7月まで他に4市町村が順次解除
6月16日 石原伸晃環境相(当時)が中間貯蔵施設建設の地元交渉を巡って「最後は金目でしょ」と発言。後に謝罪
8月30日 福島県が大熊、双葉両町への中間貯蔵施設建設受け入れを表明
12月22日 4号機使用済み核燃料プールから燃料移送完了
2015年
3月1日 常磐自動車道が全線開通
6月12日 17年3月末までに帰還困難区域を除く避難指示を解除する目標を政府決定
  15日 福島県が原発事故の自主避難者への住宅無償提供を17年3月末で打ち切ることを公表
9月14日 原子炉建屋周りの井戸からくみ上げた水を、浄化して海へ流す「サブドレン計画」が開始
2016年
2月7日 丸川珠代環境相(当時)が、民主党政権時代に定めた除染の長期目標「年間追加被ばく線量1ミリシーベルト以下」について「何の科学的根拠もない」と発言。後に撤回
3月31日 1〜4号機周辺の土壌を凍らせる汚染水対策「凍土遮水壁」の運用を開始
8月31日 政府が帰還困難区域に設ける「復興拠点」を除染し、5年後をめどに避難指示解除を目指す方針を決定
2041〜51年 廃炉作業完了?



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