2016/05/15

さあこれからだ/128 原発事故後4人だけ残った村=鎌田實

2016年5月15日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160515/ddm/013/070/033000c 

ベラルーシの首都ミンスクから南東へ約250キロ。チェルノブイリ原発から150キロ。最も汚染された地域ゴメリ州ベトカ地区のバルトロメフカ村の春は遅い。草は芽吹いてきたが、木々は裸のままである。

4月、ぼくはこの村を訪ねた。外国人が珍しいのか、人の訪問そのものが珍しいのか、分厚い眼鏡をかけた女性が出てきた。70歳のレイバさん。ぼくの手を取って、しきりに話しかけてくる。人恋しいのだろう。

30年前の原発事故が起こる前、この村には2000人が暮らしていた。今、住民はたった4人になった。一番年長者である86歳のエレナさんに家のなかを見せてもらった。色鮮やかなベラルーシ刺しゅうのクッションカバーから、故郷への愛情が感じられた。

「さびしくないですか」と尋ねると、エレナさんは、「サビシイ、サビシイ」としみじみ答えた。

ベラルーシでは年間被ばく量が5ミリシーベルト以上の地域を、強制移住地域と定めている。ベトカ地区は、強制移住の地域が多く、いくつもの村が「埋葬の村」となった。人の立ち退きはもちろん、家屋を壊して地中に埋めたため、そう呼ばれるようになったのである。

バルトロメフカ村も、強制移住の地域である。しかし、この村の4人の住人のように、自分の意思で汚染の村に残る決意をした人たちもいる。「サマショール」と呼ばれる人たちである。

サマショールとは、ロシア語で「わがままな人」という意味である、と以前、通訳の人に聞いた。今回、もう少し丁寧に聞いてみると、「サマ」とは「自分」、「ショール」とは「住み続ける」という意味で、「自分で決めて村に住んでいる人」という意味だとわかった。「わがままな人」という、批判めいたニュ アンスはなく、むしろ、人生を他人任せにせず、きちんと自己決定した人というように、ぼくには聞こえた。どんな過酷な状況も、自己決定は重要なことだ。

意識して、現地の人たちの会話に耳を傾けてみると、「サマ」という言葉が耳につく。

たとえば、村を訪ねていくと、高齢者が必ずといっていいほど作っているのが「サマゴン」という酒。ジャガ芋と砂糖で作った酒で、ウオッカよりも強い。「サマ」=自分で、「ゴン」=作る、つまり自家製の酒ということだ。

興味深いのは、行政もサマショールたちを見放していないことだ。飲料水や生活用水となる井戸水は、何度も放射線測定し、安全性を確認。食べ物に関して も、放射線測定をしたものを食べるように指導しているという。外部被ばくの危険性が高い地域であるから、せめて飲料水や食べ物からの内部被ばくをできるだ け低くするためだ。

バルトロメフカ村から20キロ離れたところにあるジェレズニキ村も訪ねた。この地域は、バルトロメフカ村よりやや汚染度が低い。年間被ばく量1〜5ミリ シーベルトで、希望すれば安全な地域に移住する権利が認められている。かつて200世帯が暮らしていたが、今は25世帯のみになった。

残った人たちは、健康診断と、放射能の見える化、そして、子どもたちには保養を30年間続けてきたという。

偶然、この村出身の48歳の女性が村を訪ねていた。18歳でチェルノブイリ原発事故に遭い、この村を出た。30年たっても、どうしても自分の村を忘れら れなかった。故郷は何物にも代えられないのだろう。持参した線量計で空間放射線量を測ってみると、毎時0・07マイクロシーベルトという値が出た。30年 で生活圏のセシウム値は低くなっている。しかし森の中は線量が高く、キノコや山草を採る事が許されていない。

原発事故は、人びとの生活を根こそぎ奪っていく。村を出ていった人も辛(つら)い人生となった。子どもや若者がいなくなった村に残った人も、苦しくて寂 しい人生になった。原発事故は残酷だ。原発の惨事を三たび起こさせてはいけないと思った。
(医師・作家、題字も)=次回は6月19日に掲載

左がレイバさん。右がエレナさん。4人しか残っていない村の風景=4月11日

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