2016/02/25

孤独分かち合う父親 震災避難者 神戸で交流会

2016年2月25日 神戸新聞NEXT
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201602/0008835926.shtml

東日本大震災の発生から間もなく5年。東北や関東から関西に避難した父親が、酒を酌み交わしながら新天地での悩みを語り合う場が広がっている。母親同士の交流は盛んだったが、父親同士が支え合う取り組みはまれだった。支援者は「孤立しがちな父親のケアにも目を向ける必要がある」と話す。

今月6日夜。神戸市長田区であった「chi-chi cafe(チチカフェ)」。避難者の夫婦や近所の人ら約30人が集まった。

東日本大震災を機に、神戸などに移住した被災男性らが語り合う「chi-chi cafe」
=神戸市長田区庄田町3、R3

「名谷、伊川谷、押部谷。神戸って谷が多いね」

「淡路で見つけたキャンプ場、子連れで使いやすそう。夏にみんなで行きませんか」

兵庫県産野菜などで作った料理を楽しみ、ビールを飲みながら何でもない会話で盛り上がる。昨年12月に始まり、毎月1回開く。同様の取り組みは京都市や茨城県にもある。

避難者の母親らでつくる神戸のグループ「さとのわ」を通じ、父親らに呼びかけたのは介護施設職員佐藤正彰さん(42)=神戸市北区。もともと東京都墨田区に家族と住んでいたが、2011年3月の福島第1原発事故を受け、妻と2人の子が神戸へ転居した。

佐藤さんは東京でリース業の経営を続け、休日に神戸へ通った。しかし、男性にはまれな甲状腺の病気「橋本病」を発症するなど体調に不安が募り、妻一人での子育ても限界に。13年夏、会社を人に任せて移住した。

「被災地でもないのになぜ避難するの」。友人の理解はほとんど得られず、疎遠になった。孤独感の中で、会の発足を思い立った。

カフェにはいろんな境遇の人が集まる。「がれきの中で子どもを育てられない」と宮城県気仙沼市から家族3人で神戸市長田区に転居した漁師(44)。東京でファッション雑誌の編集をしていた男性(45)は、先に兵庫に避難していた家族を追い掛け、今は三木市で農業に励む。

生活を一から立て直す難しさ、郷里に帰ることをあきらめたという自責の念。多くの言葉を交わさずとも分かり合える。「愚痴になりそうな気持ちを抑え、移住先でどう楽しく暮らすか、前向きな交流をしていきたい」と佐藤さん。漁師は「誰もが日常を取り戻したい。それだけなんよ」とつぶやいた。

次回は3月5日午後5時半から、神戸市長田区庄田町3のカフェr3(アールサン)で。
佐藤さんmonnkichi777@gmail.com  
(長嶺麻子)

【男性への支援乏しく】
原発事故で遠方に避難した妻子と離れ、仕事のために福島や関東に残った父親たち。彼らへの支援は乏しい。

福島県から県外への避難者は4万3270人(1月14日時点)。ただ、福島県は母子避難の世帯数を把握しておらず、「孤立感を深める父親に対する支援の必要性は認識しているが、実態が分からない」(同県避難者支援課)のが現状だ。

NPO法人ビーンズふくしまは2013年末から毎月1回、福島市内で「パパカフェ」を開催。県外の母子避難者を支援する中で、「福島に残ったお父さんが心配」という声が目立ったからという。

同法人の中鉢博之さんは「同じ境遇の父親が酒を飲みながら話すだけで安心できる。5年が迫り、ストレスは限界に来ている」と話す。

一方、仕事を辞め、避難した家族と同居の道を選ぶ男性も増えている。そのため、福島県は16年度、全国20カ所に県外避難者向けの相談窓口を初めて開設することを決めた。担当者は「福島に戻ってもらいたい気持ちはあるが、放射能に対する考え方は多様。移住を選んだとしても、避難者の暮らし再建を支える立場でサポートしていきたい」と話す。(木村信行)

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