2014/10/21

会津の有機米 輝きもう一度/福島


 福島県会津地方で、横浜の業者と協力しながら地域ぐるみで米の有機栽培に取り組んできた農家の人たちがいる。味と安全性は高い評価を受けてきたが、原発事故をきっかけに、放射能は検出されていないのに販売量が急減。35回目の収穫期を迎え、「安全でおいしい米を食べて」と願う。

■震災で評価一変 ゼロからの再出発

 会津地方北端の喜多方市熱塩加納町。今月9日に訪れると、黄金色の稲穂が広がり、収穫が最盛期を迎えていた。「夏の天気がよかったので味もいいと思う。タンクに籾がたまっていく音を聞くのがうれしいんだ」。コンバインから降りてきた原源一さん(67)が顔をほころばせた。
 合併前の旧熱塩加納村で1980年、地元の農協と横浜市金沢区の米穀業「中村商店」が協力し、有機栽培を始めた。原さんは初期からのメンバーで、「安全な米を作りたかった」と振り返る。
 村ではそれまで、化学肥料と農薬を多く使う「収量重視」の稲作が行われていた。だが健康や環境への意識が高まった。米が余り、付加価値の高い米作りが求められていたことも後押しした。減農薬から始め、一部は農薬不使用に進んだ。
 「病害が多くてもうやめたいと思うときもあった」と原さん。有機栽培は病害を防ぐのに手間がかかり、費用もかさみがちだ。
 だが、農家の人たちは中村商店と協力して、病害を抑えつつ食味をよくする栽培法を研究。当初は全量を中村商店が買い取り、首都圏で販売した。一部の集落で始まった米の有機栽培はやがて、村の田の半分を占めるまでに広がった。
 こうして生産された有機米は、「米・食味分析鑑定コンクール」で金賞を複数回受賞するなど高い評価を受け、デパートのギフトでも扱われるようになった。
 だが、震災で一変した。
 会津地方は原発から100キロ離れ、放射性物質の飛散は限定的。出荷する玄米は全袋検査にかけられ、中村商店は独自に厳しい検査(定量下限値が1キロあたり1ベクレル以下)を重ねているが、放射性物質が検出されたことは一度もない。
 しかし販売は急減。自然食品店などでは、客は西日本の米を選ぶようになった。農協で扱う年約400トンのうち半分が有機米として販売できず、価格の低い一般米として市場に出さざるを得ない状況に。3年経っても回復せず、有機栽培をやめる農家も出てきた。
 「(放射能の)数値が出ていないのに離れられるのは残念。裏切られたような気持ちにもなります」と原さん。震災前は消費者との交流会を重ね、信頼関係があると思っていただけに落胆は大きい。「ゼロからの再出発だ。私たちの思いを理解して食べてくれる人を探すしかない」

■栽培法改善 農家と二人三脚

 熱塩加納町の稲作と長く関わってきた中村商店の蔵野浩伸・営業一課長(58)も特別な思いを持つ。
 福島県南相馬市の出身。営業マンとして米を売る一方、無農薬栽培の実験を繰り返し、農家と一緒に栽培法の改善に取り組んだ。
 生産した米を、中村商店は旧熱塩加納村の花ヒメサユリにちなんで「さゆり米」と命名。自然食品店や生協に卸した。農家と二人三脚で有機栽培を進めてきた自負がある。
 だが中村商店の販売量も震災後、半分以下に減った。「汚染水漏れや放射性物質飛散の報道があるたびに、がくんと売れなくなる」という。
 福島第一原発に近い故郷では、津波で姉の家が流され、多くの知人が亡くなった。原発で働いていた親族もいる。
 その南相馬でも、米作りが少しずつ再開されている。「会津の米が売れないと、南相馬の米が売れるわけがない。故郷のためにも、意地でも売り続けたい」
 さゆり米は今、昨年度産を販売中。11月下旬に新米が店頭に並ぶ。神奈川県内では自然食品店「こだわりや」の各店や、川崎市宮前区の「ら・てーる」で。問い合わせは中村商店。

http://www.asahi.com/articles/ASGBH4TJRGBHULOB01C.html
朝日新聞

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安全基準値の100ベクレル以下であれば流通してしまう現在の状況の中で、こうして1ベクレル/kgまで測定下限値を下げて厳しく測定し、真摯に取り組む農家もいるのだということでアップしました。

こうした農家の努力がむくわれるためには、こうした農家と消費者が信頼のもとにつながっていくこと、厳しい測定(頻度、下限値、核種など)と公表を基本にすること、そうして初めて安心して買い支えられることになるのですよね。

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